所謂「児(ちご)もの」と呼ばれる古典のお話は幾つかありますが、宇治拾遺物語に収められている「児のそら寝」は、高1古典が「言語文化」となった現在でも、多くの教科書で扱われています。
物語の中で児(ちご)は、ある失敗をして大笑いされ、恥ずかしい目にあうのですが、その失敗の理由を、児(ちご)自身の持っていた「プライド」が邪魔をしていたからではないかと、私(脇坂)は考えています。
というのも、僧のような大人たちが「かいもちひせむ」と、すなわち「ぼたもちを作ろう」と話していたのを児(ちご)自身が「心寄せに」聞いていた時点で、普通の子どもなら「ぼくも食べたい!」と思ったり「一緒に手伝う!」と思ったりするところなのに、なぜかこの児たちはそのようにはしていないからです。
いや、それどころか、この児たちは、
「待ちて寝ざらむも、わろかりなむ」
【現代語訳】寝ないで(起きて)待っているのもよくないだろう
と考えて、タヌキ寝入りを決め込んでいるのです。
確かに、何もしないで出来上がるのだけ待っていれば「わろかりなむ」、すなわち「よくない」となります。しかしそこは反対に「よくない」からこそ「手伝おう」となるのが普通のところです。なのにこの児たちは、そうはなっていません。
では、児たちにとって「寝ないで起きている」と、どんな「よくない」ことが起きるのでしょうか。
容易に推測されるのは、児たちが寝ないで起きていれば「(大人たちからぼた餅づくりを)手伝わされる」という、「余計なことをさせられる」ということでしょう。児たちは、自分たちは「公家の子息」であるからこそ、食べ物を作る、用意するなどの「下働き」などやりたくないと思っていたのではないでしょうか。(ついでに、授業では他人のものまで欲しがる「食い意地の張ったやつ」と思われるのもよくない、という解釈も伝えています。)
普通の子どもが取るであろう「ぼくも食べたい」という思いを抱くことや、「お手伝いをする!!」という行動を取らせるところを、児自身の持っていた「プライド」が邪魔をしていたのではないでしょうか。
その「自分は公家の子息」であるというプライドが、児の頭の中に「手伝うことを良しとしない思考パターン」を形成していたからこそ、(普通の子どもたちとは違い)児は「寝たフリ」をしてしまったのでしょう。
そしてこのプライドの高さは、物語のこの後に続く場面で取った児の行動、すなわち
「うれしとは思へども、ただ一度にいらへむも、待ちけるかともぞ思ふとて、いま一声呼ばれていらへむと、念じて寝たる」
【現代語訳】嬉しくは思うけれども、一度目で返答すると(大人たちが)「(この子どもらは)待っておったのじゃな」と思う(のもよくない)と(子どもたちは)思って、もう一度呼ばれてから返答しようと考えて、(起きるのを)我慢して寝ている。
という「やせ我慢」的な行動を取らせた原因ともなっている、という点も併せて指摘をしておきます。
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