「絵仏師良秀、家ノ焼ヲ見テ悦事」というタイトルのつけ方は、
良秀が隣家から出火した火事の際に、
自分の命よりも大切な飯の種である仏の絵や
最愛の家族を捨てて、自分だけ生き延びようとした「人でなし」の男である、
という側面に基づいている。
自宅が燃えるのを見てうなづいてみたり、
時には笑顔も見せるということで、
確かにこの男は「気でも狂ったか」と思わせるような素行を見せている。
なのに、この話の最後の一文には
「そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めで合へり。
【現代語訳】そののちであろうか、良秀のよじり不動といって、今に至るまで人々が称賛し合っている。」
とあるように、最終的に良秀は人々から「立派な絵仏師」だと褒め称えられて終わっている。
それでは、燃え盛る炎の様子を忠実に描くことに成功したという点で、
画風が徹底したリアリズム(写実主義)の絵師良秀のこの話の、いったいどこが仏教説話なのだろうか。
今昔物語にしろ、その補遺である宇治拾遺にしろ、いずれも仏教説話集であり、その目的は「広く庶民に仏様の教えを説いて回る」ことにある。
その仏様の教えというのが、今回の「絵仏師良秀」の中では、場合によっては家族を見捨ててでも、仏の道に突き進んでいこうとする心構え、すなわち「殉教する精神」であり、それは人として必要となる価値である、とわれわれに気づかせようとして、この話は、芥川龍之介の『地獄変』を経て現代にまで語り継がれている訳である。
しかしながら、この「殉教精神」という考えは、現代の文明社会にどっぷり浸かって生活している我々にはとても理解の及ばない価値観である。
同じ日本人として共感できないということになれば、では今の我々はいったいナニ人なのか?
この「殉教精神」というやつの誤りの部分を力強く説得できなければ、現代の我々こそが日本人なのだ、と強く自信をもって主張することはできないであろう。
果たして、皆様は、どうお考えか?
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