村上春樹「バースデイ・ガール」「彼女」がした「願いごと」の内容について

query_builder 2025/09/02
村上春樹「バースデイ・ガール」「彼女」がした「願いごと」の内容について

【設問】

彼女が二十歳の誕生日にした願い事の内容は何か。「~ますように。」に続く形で15字以上、20字以内で答えよ。また、あなたがそのように考えた理由を60字以上、80字以内で説明せよ。


【解説】

概して、村上春樹の小説は難解です。だから「バースデイ・ガール」に出てきた「彼女」の「願いごと」についても、いろいろと考察するのはやめておこう…という論調があることも承知の上で、私(脇坂)はこの文章を書いています。



ネットの世界の回答の中には、「彼女」が二十歳の誕生日に願ったことは「願いごとなんてしなくても済むような人生を送れますように」という「願いごとをした」のような主旨のものがあります。そしてその理由が、二十歳の願いごとについて「僕」と交わした「何ひとつ思いつけない」というやりとりを根拠としているものがほとんどなのですが、しかしそれは何とも…、ただ言葉を弄んでいるかのような形の答えです。


仮にそれが正解だとすると、オーナーの老人が発した「君の願いは既にかなえられた 」という台詞との間で矛盾を来たすことになるでしょう。少なくとも「彼女」は老人の前で願いごとをしていたわけですから。一方で、「僕」の方は願いごとを思いついていないのですから、願いごとをしていません。


この手の回答は、例えて言えば、「分からないということが少なくとも分かった」という文と同じ構造です。この例えの場合は、文の意味としては「分かった」というのが結論となりますが。


あと他には、「僕」からの二つ目の質問「後悔していないか?」に対して「彼女」がちゃんとした返答をしていないから、「彼女」は二十歳の時に「後悔しない人生を送れますように」と願いごとをした、と考える人もおられるようです。 


しかし「アウディのバンパーにふたつばかりへこみがあっても?」の台詞が「アウディになんか乗らなきゃよかった」と後悔しているとも読めてしまいます。また、そのような恵まれた現在の状況について「彼女」自身は二十歳の頃に言っていた通り「もてあまし」気味で、少々戸惑いを感じているようです。自分自身の人生を振り返って「彼女」は、自身に別の人生がなかったかどうかを考えているわけですから、それはすなわち後悔をしているわけであり、彼女の二十歳の願いは、現在叶っていないということになります。


それではここで「彼女」のした願いごとの内容の条件を整理してみましょう。


  • 「(普通の女の子が願うようなこと)じゃなくてかまわないんだね」というオーナーとのやりとりから「一風変わったもの」…であり、且つ、
  • もし実際にかなえられてしまったとして、その結果「彼女」がもてあますことにならないものである必要があります。


…そしてさらに、その願いは


  • オーナーの発した台詞「君の願いは既にかなえられた」や、現在の彼女の「イエスであり、ノオね」という言葉から、少なくとも二十歳の誕生日時点では一旦叶えられ、且つ今の時点でも叶っている時もある、…という条件を満たしていなければなりません。


次に、本文で彼女の願いごとの真意が窺える、ヒントとなる箇所について考えます。


一番直結しているのは、「僕」とのやりとりで「彼女」が話した「私が言いたいのは…人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」の台詞であると私(脇坂)は考えます。これは「僕」からの二つ目の質問「後悔していないか?」についての返答にあたります。


ただし、その台詞の前に「彼女」は「僕」に返答になっていない、すこしはぐらかしたようなことを打ち明けています。しかしそのはぐらかしが重要な意味を持ちます。

と言うのも、このはぐらかしのような台詞の中で「彼女」は「三歳年上の公認会計士」をしている夫にとっては妻であり、「二人」の「子ども」たちにとっては母といったように、様々な関係によって変化をする「私」の存在について言及しているからです。(ちなみに、「彼女」は二十歳の時はアルバイトをしていた学生であった。)


またもう一つ注目すべきは、「僕」が「君はそれを願いごととして選んだことを後悔していないか?」と確認した、その直後の描写についてです。


(以下引用)
少し沈黙の時間がある。彼女は奥行きのない目を僕に向けている。ひからびた微笑みの影がその口もとに浮かんでいる。 (村上春樹「バースデイ・ガール」
(以上引用)


ここでの「彼女」は、実在する存在から、おそらくは「モナリザの微笑み」の絵画のような「奥行きのない目」を向けながら「ひからびた微笑み」をたたえた二次元の存在として描かれています。そして「僕」の口から「人間というのは、どこまでいっても自分以外にはなれないものだ」という「彼女」の台詞をなぞるような形で、リフレイン(あるいはエコー)のようにその言葉が出てきた直後に、その「ひからびた微笑みの影」が「彼女」の口もとから消えた、と描かれます。これは「彼女」が二次元の存在から三次元の存在へと元にもどったという変化の描写です。そしてこの部分が他でもなく、物語の重要なテーマであり、且つ「謎」ともなっている「彼女が二十歳の誕生日にした願いごとの内容」に関する重要なヒントとなっているのではないかと考えました。


文学は「説明」ではありません。「説明」で読者に伝えられるなら、作家は文学なんて手法は選ばないはずです。文学でなければ伝えられないこと、それをこの『バースデイ・ガール』という作品では「彼女」が二次元の存在から三次元の存在へと元にもどった、という変化の描写で伝えているのではないでしょうか。


以上の点を踏まえて、私(脇坂)の出した【解答】は次のようになります。


【解答】

これからもずっと私が私のままでいられ(ますように。)(18字)


【理由】

「僕」が「人間というのは、どこまでいっても自分以外にはなれないものだ」と言った後に「彼女」の口もとから「ひからびた微笑みの影」が消えたから。(80字)


最後に、この「私が私でありつづけること」という願いごとの内容は、「後悔」をする、しないのいずれでもないという点についても確認をしておきます。なぜなら、後悔するも何も、最初から、生まれた時からずっと私は私なのであり、私にはどうすることもできないことであるからです。だから「彼女」は「後悔していないか?」と尋ねてきた「僕」に対して返答することができなかったわけです。 


そしてこの【解答】は新たに「自己同一性(アイデンティティ)」のテーマ(「個人」という存在の心理につきまとう「私とは何か(分人)という問題」)へと遷移していくことになります。




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